Meer × Athrun
 雨が視界を狭める中、彼女の歪んだ唇を目にした。
 それを最後に、背後から受けた不意な衝撃により、その意識はとんだ。
LOVELESS/DARLNESS
− LOVELESS −
そこに愛はなく
「お気付きですか? アスラン」
 一振りの鈴の音にも似た声が、静かに少年の目覚めを促した。
 頭をもたげ、前を見やれば見知った少女が黒い肘掛椅子に腰掛けている。少女は笑みを湛え、涼やかに眼差しを少年に送っていた。
 そこは使い古され、不要となった一室なのだろうか。ただ、空間が広がり、窓からは淡い光が射し込んでいる。少年は、僅かに眼を細めその外を窺い見た。そこには、さきほどまで感じていたはずの雨音はなく、整然とした机と椅子が並べられている。軍事講習を受けるにあたって利用する、多目的室の一角なのだろう。その様子から、彼がいる部屋は、屋内の奥に位置する場所であることが分かった。
 霞んでいた意識がようやく晴れ出し、少年は、少女の輪郭を捉えた。
「ミーア?」
 怪訝な顔で名を問えば、少女は一言頷き小さなその唇を緩ませた。いつもの愛らしい表情で笑っている。ただ、違うことは。
「どういうことだ?」
 体の自由が利かないことに、少年は動揺と苛立ちを露わに顔を顰めた。壁に両腕を楔で繋がれ捕らわれの身となっていた。
 そんな少年に対し、彼女は少し申し訳なさそうに声色を変える。
「申し訳ございません、アスラン。このような手荒な真似を、貴方にはしたくはなかったのですが…」
 さも苦しげに少年の問いに答えた少女は、ゆるやかに足を組んだ。片方に長い切れ目が入っている衣服なのだろう、黒衣を纏った彼女のスカートが、僅かに割け、白い太股が垣間見えた。
 あまりにも少女の不釣合いな格好に、少年は目を逸らした。淡い色合いが馴染んでいるその姿に、黒衣が似つかわしくなく感じられていた。顔を僅かに下に向け、視線の端で少女を捉え、現状の説明を求めた。
 そんな少年の気を知ってか知らずか、少女は無邪気に笑いだす。
「そう怖い声をお上げにならなくても、ご説明致しますわよ?」
 彼女は視線を少年から逸らし、扉付近の壁を見詰めた。そして人影を捉え、目を細める。
「シオン。ここから先は、無粋ですわ」
 そこは影が色濃く落とされていたため、少年は、その存在に気付くことができなかった。人影を確認したと同時に、驚愕する。
「キラ?!」
 陰となった存在が、窓から差し掛かる淡い電子光を浴び、その容姿が晒された。その姿は、少年、アスランにとってはもっとも近しい存在、遠い記憶を共有し合う者の姿であった。言葉を失う。
 ――何故、お前が。
 その様子に、少女は小さく声を上げ笑った。
「あらあら? そうでしたわね。貴方のご親友も、彼と、同じ姿をしていらっしゃいましたわね?」
 彼女は可笑しそうに小刻みに肩を揺らしている。
 シオンと呼ばれた少年は、少女を一瞥し、アスランを見やった。その顔を向けられ、アスランは、見知った顔立ちが明らかに別人であることに、安堵と困惑の色を見せる。
「お前は…」
 何者かと訊こうとしたが、言葉に詰まった。その者の瞳の異様さに、思わず眉端を上げた。
 窓から入る光を受け、友人の姿を形取ったその眼は、淡く乱反射していた。初めは光のせいで、そう輝いているのかと思った。だが、魅入るように凝らし見れば、彼の眼が黄金色であることに気付く。
 深い色を持たないその瞳には、感情はなく、ただ無機質なまま、光に晒されていた。まるで精巧な人形のようだ、アスランはそう感じた。
 彼の心中を察したのか、少女は椅子に肘を付き静かに笑んだ。
「稀有なこともありますわね…」
 偶然であることを、当然のように彼女は口にした。その言い様にアスランは歯を鳴らす。
「はぐらかさないでくれ、ミーアっ。君は一体…何を考えている?! いや――何者だっ。そして彼は、何故…アイツと同じ顔を、しているんだ?」
「知りたい、ですか?」
 そう言いながら、少女は手を上げ、無機質な少年に退くよう合図を送る。シオンと称された少年は、物音一つ立てずに立ち去った。背を向けられた瞬間、アスランの瞳に、シオンの綺麗に束ねられた長髪が映った。その揺れ動いた髪が、妙に印象的であった。
 それは、人形のような少年が、唯一、個々の人間であることを、主張しているように思えた。そして一介の平兵士の軍服を纏った彼の後姿に、隙はなかった。

「まずは、このような扱いをしてしまった非礼を、お詫び申し上げますわ、アスラン」
 改めて言葉を紡ぎだす少女に、アスランは視線を向けた。依然足を組み、スカートの切れ目からは太股を覗かせている。束の間、それに囚われ、思わず眼を逸らした。さきほどより、白い太股は露出を広めていた。その白さが艶かしく、いざないをかけているように思えた。
 少年の反応に、少女は口の端を俄かに上げた。そしてアスランは、自身を咎めるように首を振り、少女を見据える。
「俺を拘束し、デュランダル議長に、『アスラン=ザラ』の首でも差し出すか?」
「まあ…怖い。私に、そのような乱暴なことが、できると思いまして?」
 鈴の音を転がすほど、甘く、彼女は笑う。その声の甘さが静かに、少年の肌を伝い鳥肌が立つ。アスランは、彼女の真意が掴めず、寄せた眉根を深めることしか出来ずにいた。
「私はただ…貴方を議長から、庇い立てしたく、思いますのに」
 憐れみを湛えた表情を浮かべ、彼女は肘を付いた手に頬を乗せた。そして、こともなげに太股が露わになっているスカートの切れ目の裾を、さらに、空いた手で静かにたくし上げ始める。その所作にぎょっとした少年は、自然、目を床へ落とした。
 少女の下半身が、あられもなく姿を現す。そこには何一つ纏うことなく、花弁にも似た肉片が、静かに顔を覗かせていた。
「私を、お抱きなさいな、アスラン=ザラ」
 少女の突拍子もない誘いに、「なにを馬鹿な」、反射的に、アスランは視線と同時に言葉を返したが、声を失くす。不意に映った少女の、淫靡な柔肌、そして花弁に、体が硬直した。微かに自身の下半身に電流が伝うごとく衝撃を覚える。
(クソっ――!!)
 その劣情に、舌を噛んだ。その場から逃れたい一心で、思わず手首に繋がれた楔を壁から引き剥がそうと、力を入れる。幾度も、幾度も、力を入れた。次第に血が滲み始める。
 アスランの様子を始終眺めている少女は、さきほどまで見せていた穏やかな笑みとは打って変わって、卑猥に唇に弧を描いた。血が滲み出す彼の腕を見詰め、ただ、黙って、苦痛に顔を歪める少年の姿を瞳に映した。
 強固な楔は、彼を容易に解放することはなかった。アスランはこうべを深く垂れ、時の流れを感じるだけしかできずにいる我が身を呪う。
(…どうしたらいいんだ? 助けは、ない。どの道…ここに居ては殺される)
 彼は、ミーア=キャンベル、その少女を共に引き連れ、Z.A.F.T軍が陣を構えるジブラルタル基地からの脱走を試みた。もはや彼の居場所は、プラント・ザフトにはなく、それと引き換えに死を与えられる。それだけは明確となった。
 自身と同じ境遇であるはずの少女に、憂いた少年は、彼女に共の来るよう諭した。だが彼女は、降りしきる雨の中、静かに笑んだ。その笑ったはずの表情は、瞳に感情はなく、凍てついていた。雨のせいなのだろうか、ふとそう感じたが、定かではない。
 少女に、ミーアの姿に囚われていた自身に不覚があったのは確かだった。アスラン=ザラは背後を許し、彼は倒れた。その背後を獲ったのは、『シオン』と呼ばれた、あの少年だったのであろう。
 アスランは悔しさを隠し切れず、唇を噛んだ。あの時の不覚を後悔しても、すでに遅い。そう自身を罵った。ましてや彼女を、ミーアを置いていくことも出来ずにいた。
 ギルバート=デュランダルの真意を知ってしまった以上、事態を、己の心のまま――見過ごすことはできなかった。そう、彼女の存在も。
 ――誰かが傷付くのは、たくさんだっ。
 気がつけば、『ラクス=クライン』を模った、ミーア=キャンベルの手を引いていた。
 ――彼女を、『ここ』から連れださなくては。
 情け深いこの少年は、そう使命感に駆り立てられた。
 しかし、差し出した手は、あっけなくも跳ね除けられ、アスランはただ項垂れた。現状に、俄かに途方にくれる。
 守ろうとしたはずの少女は、裏切りのごとく自身を捕らえた。その少女に瞳を投げ、問いただそうとしたくとも、彼女の恥らいを知らないほど妖艶な白い肌が、視界を捕らえようとする。
(こうして居ても、無駄だ…な)
 逃亡の身であることに、焦燥感が次第に募る。苛立ちを覚え始めたアスランは、意を決したように頭をもたげ、ミーアを睨め付ける。その様子に気付いたのか、彼女は、少年の瞳にいざない掛けるように足を組み直した。その所作と共に、陰部が揺れる。少女の仕草一つ一つが卑猥に見えて仕方がない。そして焦燥感に煽られ、少年の心音が、血の流れを速めていくのが分かる。辛辣な表情を浮かべ、アスランは重く口を開き、乞う。
「おい、ミーアっ。…訳を聞かせてくれ」
 自身が囚われたことに対し、彼は責めようとは思わなかった。ただ、それに至った彼女の理由を、知りたかった。どこまでも情愛に満ちた彼の言動に、艶かしく眼を細めていた少女は、愛しげに笑みを零す。その破顔した無邪気さに、アスランは覇気を削がれた。
「アスランは、お優しいですわね」
 彼女は静かに呟き、無防備に晒した白い太股を黒衣に仕舞った。ミーアは、ゆるりと立ち上がり、長く伸びた淡い髪色を靡かせる。窓から入ってくる電子光に、その髪がけぶった。
 仕舞われた肌を確認したアスランは、安堵と共に深い溜息を洩らした。そして溜息と共に伏せた眼を、ミーアに向けた。
「ラクス…?」
 思わず洩らした名に、かぶりを振る。
(何を言ってるんだ、俺は?)
 今まで一度たりとも――ミーア=キャンベルという存在に、『ラクス=クライン』を重ねたことはなかった。アスランはそれにひどく動揺を覚える。不意に洩らした名と、目の前にいる少女は、姿そのものは似て、非なる者。
 だが、彼の前に佇む存在は――ラクス=クライン。射し込む外界の光がそうさせるのか、彼女は清浄にそこに在る。さきほどまで魅せた淫靡さは消え失せていた。いな、はじめから清らかであったのではないか。そう錯覚すらしてしまうほど、気高いまでに聡明な、歌姫を模っている。
「教えてくれ…君は、誰だ? どうして、俺を惑わす…」
 見えない糸に絡み取られたかのように、アスランの思考が停止した。彼が知る、ミーア=キャンベルは、『ラクス=クライン』とはほど遠く、別人であった。ミーアの笑った顔が、脳裏をよぎる。子供のように、無邪気に笑み、いたずらに表情を崩す。ひたすら少年を慕い続けてくれた。
(俺は…そんな彼女しか知らない)
 眼の前にいるミーアは、ミーア=キャンベルである。しかし、別人のように『ラクス=クライン』と等しい。『ラクス』が、『ミーア=キャンベル』と言う架空の存在を、演じてきたのではないだろうか。思考がそう結論付けようとしていることに、アスランは自嘲した。
(馬鹿げている)
 『ラクス』は、確かに、キラの、親友の元にいるはずだ。自身が知る記憶の明確さを、改めて確認し、空ろになり始めた意識を、身の内で叱咤する。しかし、アスランの思考は、自嘲を浮かべた結論に、再び絡めとられた。瞳を向けた先には、『彼女』が笑っているのだ。
 ――ラクス。
 『彼女』は清らに佇み、澄んだ瞳で、笑んでいる。彼は、その顔を知っている。かつて、婚約者として、一人の女性として『彼女』を見ていたことがあった。そして『彼女』は、同じ瞳で、いつだって彼を穏やかに見詰めてくれていた。互いを思う心は、友愛に近かった。
 ミーアは笑う。いや、それは『ラクス』か。アスランはかぶりを激しく振り、自身の愚考を否定した。
 緩やかにミーアの歩が進んだ。静かに、静かに、アスランの元へ歩みくる。彼女の気配にひどく惑う。ただ分かることは――そこに『彼女』の魂はない。
 虚構の上に成り立つ『彼女』の存在が、無性に空っぽに見えた。同等の姿を形作ったとしても、そこに宿るだろう心は、唯一無二のはず。『ラクス』を写した立体映像の姿のようだ、それは。
 ミーアはアスランから少し離れた場所で立ち止まり、軽やかに身を一回りさせた。彼女の足に纏わり付いていた長いスカートが、容易に少女の白い足を解放した。さきほどまで見せていた太股が再度、白く、少年の眼に焼きつく。
 そして、ミーアは無邪気に声を上げ笑う。
「私は、ピエロですの、アスラン」
 それは、鈴の音が一振り、二振り、連なるように声音を成す。彼女は子供のように笑った。
「私の存在を、お知りになりたいのですよね?」
 そう言いながら、彼女はアスランにさらに歩み寄り、彼の目の前で腰を下ろす。そして、スカートの片方に入った切れ目の裾を掴み、無碍に横へやる。緩やかに線を描いた形良い両足が、開脚した。

「馬鹿っ、やたら…晒すものじゃないだろ?」
 諭すように言葉が出た。それに反して、可憐な花は惜しむことなく、その身を少年に開いて魅せる。けれど彼の眼は伏せられていた。
「私を、見て…下さいな…」
 逸らされた眼差しに哀願し、ミーアは自身の秘所に触れ、吐息を洩らす。そこには恍惚の瞳を湛えた表情の、彼女がいるのだろう。そう想像が付くだけに、余計にアスランの眼は固く閉ざされた。
 しだいに彼女の声色が変わり、息遣いに乱れが生じ始める。それに伴い、耳元を擽る卑猥な音。そしてそれを煽るように、寂しげに鳴く可憐な声。アスランは舌を鳴らした。己の下半身が、勃起していることに気付く。
 少年の呻いた様子を察したのか、ミーアは恍惚で細めた眼をアスランに向け、四つん這いに彼に詰め寄る。
「ミ、ミーア?」
 細い指先が、アスランの頬を這うように触れ、そして軍服の襟元で止まった。ゆっくりと、纏っていた赤い軍服が開かれた。
 アスランには、それに抵抗する術があった。解放された足は、少女を絡め取り、首を圧し折ることを告げ、脅しを掛けることができただろう。しかし、彼女の存在を前にした彼には、その選択肢はなかった。
 見知った柔らかな存在を手荒に振り払うことなど、冷酷さに欠ける彼には到底及びはしない。それは判断力の甘さと答えても、良いだろう。いや、彼の、無意識に潜む慈悲であろうか。
「ミーア、止すんだっ」
 触れる細指の軽さに鳥肌が立ちつつも、辛うじて声を上げ制止を求めた。天井を仰ぐことで、彼女を視界の外へ追いやる。しかし、それが無意味であることに、アスランは情けなく気付く。少女に為されるまま、ただ、彼女の身に焦がれる自分がいた。
 軍服のアンダーシャツを捲くし上げ、ミーアは露わになったアスランの体躯に、舌を這わせた。その行いに、彼の神経に電流が走り出す。俄かに眉根を寄せ、小さく呻いた。
 そしてミーアは、少年のズボンに手を掛け、ベルトを外し出す。
「ようやく…私を求めて下さいましたのね?」
 彼女の瞳は淫らに歪んでいた。さきほどまで見せていた、『ラクス=クライン』と思しき存在はとうに消えている。
 外界に晒された少年の性器から、自然に透明な液が滲み出している。その晒された恥部を、少女は静かに掴む。
 触れられた瞬間、アスランの体内を血が逆流し始める感覚が襲う。そんなアスランをよそに、ミーアはゆっくりと掴んだ彼自身を揉み解し、擦り出す。慣れた手付きは、しだいに、少年を快楽に誘い始めた。
「大分…溜め込んでいらしたのですね?」
 ミーアは薄い唇の端を上げ、恍惚の笑みを浮かべながらアスランの顔を見やる。アスランは、羞恥心で顔を歪めた。そして声が上擦り、彼の息が上がった。少年の恥部を掴んだまま、少女はこうべを深々と垂れ、それを咥えた。肩から垂れ落ちる髪を、少し鬱陶しげに耳に掛け、舌を這わし始める。
 その姿の卑猥さに、ただただ、眉を寄せ、眺め、下半身から伝う甘い酔いに眩暈を覚えるしかなかった。
 嗚呼、そう声を低く零した。アスランはミーアの口内に、射精した。彼女はそれを、身体に注ぎ込むように飲み込む。そして、その淫乱さとは裏腹に、声を上げ清げに笑う。
「これが、貴方の味、ですのね…」
 喉を潤すほどの勢いで、彼女は顎を上げた。少女の体内に、自身が放った体液が、雫として通過していく。錯覚としてそう見えた。少年は顔を逸らした。
 あきれるほどに、彼の肉欲は、満たされることはなく、少女の身体を乞い求めていた。その硬さが取れないアスランに、ミーアは自身の花弁をかたどる肉片をあてがい、ゆるりと、我が身を欲する彼自身を摩擦してやる。そして、広く開いた胸元の衣服から、細い体とは思えないふくよかな乳房を零した。
 少年の厚い胸板に、少女は柔らかな膨らみを自ら潰していく。それと同時に、アスランの鼻腔を、芳しい花の匂いがいたずらに擽る。不覚にも、その細い肩を、抱き締めたく思った。
「アスラン…どうしても、出て行かれるの…ですね?」
 ミーアは潰した乳房をアスランに擂りこむように揺れてた。互いの突起物が絡み、擦れ合う。彼女の言葉に、彼は静かな呻きと共に頷いた。
「真実なんて…私には、どうでもよろしいこと」
「…ミ、…ア?」
 ミーアはアスランから離れ、膝を付いたまま背を上げた。ひどく名残惜しい余韻を残し、まだ足りない快楽が、アスランの身の内で疼く。
(欲しい、彼女が)
 自然に視線が、少女の股下へ行く。愛液で、彼女の太股は濡れていた。
「欲しいのですか?」
 ミーアは優しく笑った。そして焦らすことなく、アスランを身の内にいざなった。内側に納めた彼に、少女は苦悩にも似た表情で、酔う。
「私は…、貴方というっ…存、在を…惜しく…思いま…す」
 腰の軽い重みを深々と上下させ、ミーアはアスランを感じた。それに対して、彼は吐息と共に応える。
「ですが、『ここ』に居ても…貴方は…剣を振るまうっ…ことは…できな、い」
 汗ばむ頬に髪が張り付き、その乱れた様に興奮を覚える。アスランの眼が物欲しそうに細まる。そして辛うじて残る意識を振り絞り、訊く。
「君は…俺にっ、な、にを…求、め…てる」
 そう、彼女が単に情交を求めているはずはない。その真意が、定かではない彼にとっては、不本意に落ちたその身に縋り、それを聞く必要があった。少女は、快楽に顰めた柳眉を緩め、彼が知る少女と同じ微笑を湛えた。
「私の元、服しなさい…アスラン=ザラ」
「な!」
 どういうことだ、そう声を上げようとアスランは、甘い痺れが伝う神経に歯止めを掛けんと、ミーアを険しく見上げた。
 そしてミーアは、後ろに隠していただろう折畳みのフォールディングナイフを、アスランの喉仏に当てる。
「ミーア?!」
 ミーアの顔は笑っている。その表情は、慈悲でも卑猥でもなく、無に近い。ナイフを構えた彼女の瞳には、なんの感情もなかった。ただ、人形のように、笑みを湛えていた。
「ふふ、私に、ナイフが扱えないとでもお思い?」
 そう言いながら、彼女は器用にナイフを持ち直し、アスランの眼球前に突き立てる。その勢いに、彼は目を見開いた。視界に、鋭利な切先が映し出され、俄かに恐怖が走る。
「手始めに、その綺麗な…エメラルドのような瞳を、抉り取りってさしあげましょうか? 私、ちょうど、新しい指輪が欲しかったところですの」
 本気にも似た冗談を口にしながら、ミーアは薄っすらと唇に弧を描いた。アスランの背に静かに汗が流れる。
「私に屈しますか? それとも…惨めに醜態を晒し、ザフトのアスラン=ザラとして、『ここ』で死にますか?」
 少女は再び、『ラクス=クライン』ほど清浄に笑んだ。その豹変の差に、少年はひどく狼狽した。それでも、自ら信じている意志を盾に、彼は怯むことなく彼女を睨んだ。
「俺は――キラの元へ、行く」
 その答えを聞いて、少女は小さな声を洩らし、楽しそうに肩を揺らした。そして何事もなかったかのように、フォールディングナイフを床に投げ捨てた。
 その拍子抜けした行動に、アスランは脱力する。
「…殺さないのか?」
「ふふ。今の貴方の姿に、さきほどの台詞は…お間抜けさんですわっ。私の、美的感覚に反しますの」
 少女は再び笑った。その顔は無邪気であった。気のせいだろうか、無性に儚く感じられた。アスランは眩しそうに眼を細め、ミーアの笑顔を見詰めた。
 ――本当の君は、『どこ』に在るんだ。
 ミーアの腰が、再度揺らぎだす。
「あらあら…屈強ですわね、貴方のコチラは…」
 萎えることないアスランの硬さを確認した彼女は、恍惚を湛え鳴いた。
 繋がっている時の流れと共に、しだいに情が湧く。束の間の夢のごとく、彼は彼女に堕ち、愛した。
「ミーア、退いて、くれっ…」
「よいの…です…そのまま…」
「しかしっ…」
 アスランの遠慮げな物言いに、ミーアは静かに笑み、そして、深々と内側を揺らす。
「アス、ラン…私の内に、放っても…よいので、すよ」
 ――ソノ先ハ、空ッポダカラ。
「ご心配? 責任、とって…貰いま、しょう? うふふ」
 ――宿ルベキ魂ハ、無二還ルダケダカラ。
「貴方を…下さい…」
 ――『私』ニハ、何モナイカラ。
 互いの秘所が、体液に塗れ、溢れた。少年は達し、少女は眩暈を覚え仰け反った。
 侘しさが、少年の胸に木霊した。刹那の愛は、無に還り、空しさだけが滞った。

 ミーアはスカートの裾を使い、アスランの身体を拭いてやった。彼は顔を紅潮させ、自分で後処理はすると突っ撥ねたが、繋がれた身で何を言っても説得力に欠けていた。それを彼女は可笑しそうに、可憐に笑ってみせた。
「お行きなさいな、アスラン」
 彼女はアスランの楔を解いた。ようやく両腕の自由を取り戻したアスランは、無駄だと知りつつも、訊いてしまう。
「君は…残るんだな」
「ええ」
 ミーアは静かに頷き、黒い肘掛椅子に踵を返し、そこへ腰を下ろした。清冽な面立ちで、沈黙する。隣室である、がらんとした多目的室から漏れ出す電子光が、煌々と彼女を照らしていた。
 アスランは、整えた身を起こし、しばらくミーアを見詰めた。さきほどまでころころと笑みを浮かべ、言葉を紡いでいた彼女はなく、抜け殻のようにこちらにただ、眼を向けている。
 互いに沈黙が続く中、口を先に開いたのはミーアであった。
「名残惜しいですか? 私が」
 それを聞いたアスランはすぐさま否定を唱え、顔を逸らした。
「君が何者なのかっ、まだ、聞いていない。それに…何故、こんなことを…!」
 ミーアはその問いかけに、小首を傾げ、口元を緩める。
「まあ、ご不満でしたか?」
 不本意ながら交えた体。それでも彼女から得た快楽に、少年は気が遠のくほど酔い痴れた。さきほどまでの情景が脳裏に映り、思わず血が昇る。
「それを聞きたかったわけじゃないっ」
「――すでに、答えを、得ておいでですわ、貴方は」
 ミーアの解に、アスランは怪訝な顔をした。それを見た彼女は、椅子に肘を付き、陽気に笑んだ。そして、呟く。
「空っぽ、ですの、私の存在は」
 これ以上のやり取りが無駄であることを知ったアスランは、部屋を出ようと歩を進める。その所作を見届けるミーアは、彼に東の女子寮棟へ行くことを促した。彼は僅かに眉を顰め不審がり、ミーアを振り返った。彼女は頬杖を付いて微笑を湛えている。
「貴方が、自らの手で、私を抱いて下さるというのなら、全てをお話できましたのにね。残念ですわ、仲良しになれなくて」
「…それは、君に従えということか」
「ふふ、そうとも捉えられますわね。その代わり――貴方をお守り致しますわよ? ギルバート=デュランダル、から」
「君に守られるつもりもない。従ったところで、君は話す気なんて、ないんだろう」
「あら、私、そのような意地悪は、なさいませんことよ?」
 咲き誇る花のように、彼女は笑ってみせる。その笑顔の下に何を隠しているのか、アスランは複雑さに囚われながら、再度歩を進めた。
「『キラ=ヤマト』。ご友人の元へ行かれるの、でしたわね…」
「…ああ」
「彼は、元気でいらして?」
 アスランは思わず足を止めた。彼女の知った風な口ぶりが妙に引っ掛かった。「知っているのか?」、そう問えば、少女は首を横にふり、「夢でお会いしたのみ」と微笑した。そして、『ラクス=クライン』のことを気に掛けた。
「彼女も息災でらして?」
 アスランは一言頷き、ミーアを不思議そうに見詰める。
「ミーア、君は、議長の真意を知っているんだろう? なぜ、自分に矛先を向けるようなことを…する」
 彼にとっては、彼女がもたらす行いが、不可解でならなかった。少年を庇い立てしたところで、彼女の身が窮地に立たされるのは目に見える。それに、彼女は、プラントの象徴、歌姫を模した一人の女性でしかないはず。いわば何の権限も持たない一少女に過ぎない。ギルバード=デュランダルを前に、どう渡り合うと言うのだ。それが気に掛かった。
 そして、ナイフを持った彼女の手の異常なまでの機敏さを思い出し、寒気を感じた。華奢な曲線からは、想像もできないほどの柔軟性が、彼女には備わっていることが窺える。彼女には、棘ではなく――牙がある。誘い、待つだけの花の身ではなく、己の欲のまま、隠し持った牙を突き立てることができる。
(彼女は…飢えた獣。いや、魔物か?)
 そんな少年の心中を察したのか、ミーアは眼を細めた。
「私は、ピエロですの、アスラン。道化師が滑稽な動きを見せたところで…なんの不思議はございませんわ」
 解せない返答である。ただ、感じることは、彼女を取り巻く環境が、異様なのではないかということ。俄かに予感がよぎる。このまま彼女を、『ここ』へ置いてはいけないのでは、そうもう一人の自身が告げる。しかし、幾ら彼女に説得を試みたところで、きっと――笑うだけなのだろう。
「そう、私は籠の鳥。『自然界』では、生きてはいけません――」
 まるで彼の心に相槌を入れるように、彼女は言葉を紡いだ。そして、念を押すように言う。
「東、ですよ、アスラン?」
 別段、少年を誑かす様子はその顔にはなく、また、彼女が彼に偽りを告げる理由はすでになかった。話の口ぶりからすると、ギルバート=デュランダルと彼女は、おおよそ相容れぬ立場で互いに位置するのであろう。
 少年を糾弾するデュランダル、対して少女は彼を取り入ろうとした。そのちぐはぐな行為に、彼女が『最高評議会議長』と言う権限に、明らかに敵意を剥き出しているのが予測できた。しかし――彼女を取り巻くものがなんであるかは判らない。
 もっとも、アスラン=ザラをデュランダルの手から逃すことによって、ミーアになんら利をもたらすはずもなかった。
「俺を逃す君の真意は?」
 ミーアはその問い掛けに対して、『ラクス=クライン』の姿を成した。
「『キラ=ヤマト』が『ラクス=クライン』の剣であるならば、『アスラン=ザラ』はその盾となりなさい。お行き下さい、…『彼女』の御許へ。ただ、それだけですわ」
 ――対ナル人ヲ、守ッテクレルナラ。
 ああ、とアスランは深く頷き、部屋を後にした。

 一人部屋に残されたミーアは、無表情で呟いた。
「私の元へ…貴方を引き摺り堕とすのは、少し、酷でしたかしら。ふふ、優しい男は、使えませんわね」
 そう呟きながら、人目に晒されることはない白い足を開いた。そして、さきほどまで少年と繋がっていた花弁に触れる。
「まだ…溢れてきますわ、アスラン」
 少年の余韻が、彼女の中から静かに流れ出す。少女はそれに浸るように、自身をまさぐる。
(狂わすのは容易い)
 ミーアは一人、身の内に残った彼の精液の熱さに、酔い痴れる。
(狂うことも…容易い)
 無遠慮に、声を鳴かせた。
「アスラン…」
(貴方を、“正気”で『彼女』の元へ、返して差し上げるのは…貴方の能力を、買っておりますのよ。ですが…)
 狂った彼は、もっと強いのであろう。けれど、狂った剣は、見境なく、血を求め、果てには――『彼女』まで血に染め上げてしまうだろう。ミーアは静かに足を下ろしおもむろに、前髪に付けた髪飾りを取った。
「これが…私に、唯一残された“正気”ですわ」
 その星を模った髪飾りは、表は簡素に形作られているが、裏は繊細に隙間なく模様が施されてあった。そして、名が刻まれてある。
 ――L=Clyne。
 その名に口付けた。途方もなく感じられるほど、深く深く、口付けた。この世で最も、愛しい存在であるかのように。
 ――遠い遠い記憶の中、約束を交わした。
 星の髪飾りが、淡く入ってくる電子光に照らされている。その輝きは、パンドラの箱の底の『希望』のように、少女を導く。

 アスランは、広い屋内を、東に向かい走っていた。外は、未だ雨が降っている。しかし、追っ手の気配がない。その異常事態に不気味さを感じ、思わず駆け足を緩めた。
(やけに静かだな…)
 そしてようやく人影を、捉えることが出来た。アスランは広い廊下から、部屋同志が向かい合う、小さな廊下に身を忍ばせた。広い廊下に面した脇道となる、彼が潜む廊下入口付近で、人影は止まり、こちらに顔を向けた。
(アイツはっ…)
 ミーアと共にいたシオンと呼ばれた少年であった。その少年に対し、アスランは身構える。少女の元を立ち去ると同時に、彼女が投げ捨てたフォールディングナイフを腰の後ろに忍ばせてあった。それを機敏に取り出し、応戦の構えを見せる。
 驚いたことに、彼は、シオンは何一つ武器を持っていない。それにアスランは気付いた。
「俺を追ってきたわけではないのか?」
 シオンは、無言のまま立ち去ろうとする。その呆気なさに、アスランは思わず呼び止めた。彼は、アスランを一瞥し、静かに廊下を歩き始めた。人形のような動作しかみせない彼に、アスランは駆け寄り険しい顔付きで、自身の解けない疑問を投げつけた。
「おい! …お前は何故――キラと、同じ顔をしている?!」
「『キラ』という存在は、知らない。その質問…俺が及ぶ範囲ではない」
 無機質な回答を零したシオンは、何事もなかったかのように廊下を歩き出した。物言いこそ違うが、声色まで幼馴染と一緒であることに、アスランは動揺の色を成した。ただ違うのは、その瞳と、その長く伸ばされた髪。
「俺の射殺命令が、すでに出ているはずだ。どうしてお前は、俺を討たない? それに、ここに兵が来ないのは、何故なんだ?」
 シオンは背中を向けたまま、アスランの親しき者の声で、淡々と答える。
「お前のことなど…任務外及び管轄外。ここへザフト兵が回らないのは、ジブラルタル基地内において、誤報操作をしたまでた。ましてや、この場所は基地内であっても、ザフトの権限が及ぶ範囲ではない。だが――時間の問題は残る」
 アスランの質問に対して、簡潔に答えたシオンは、彼が辿ってきただろう道を歩みだした。その様子を見たアスランは問う。
「彼女の元へ?」
 シオンは沈黙を続け、そのまま立ち去った。
 アスランもまた、シオンと背中合わせに、走り去った。
 背中を向けた存在。それは、互いに重なることのない宿命を、暗示することとなる。
− DARKNESS −
そこに光はなく
 扉が開いた。ミーアはおもむろに顔を上げ、扉を開けた人物に笑みを零した。
「まあ…お早いご到着ですわね、レイ?」
「アスラン=ザラを、どこへやった?」
「さあ…私、彼に連れ出されて以降…残念なことに、記憶がございませんの」
 その白々しい物言いに、憤慨の色を少年は見せた。
「ふざけるのも大概にしろっ、ミーア。お前がアスランを匿ったのは、周知の事実だ」
 その脅しのような言葉に、ミーアはころころと笑う。
「いくら、『元』婚約者として振舞いを見せ…私が彼を庇ったところで、なんの得もございませんわ?」
 愉快そうに肩を静かに揺らす彼女に、少年は足早に詰め寄り、少女の細い顎を鷲掴む。
「手筈は済んである。ここにも兵を放った。事と次第によっては、お前の射殺命令も出ている。…どこだ?」
 乱暴に顎を触られ、ミーアはそれに不愉快な色を見せず、艶冶に笑ってみせる。
「怒った顔で、彩っては…貴方の花のかんばせが台無しですわ」
 そう言いながら、少女は白い手を少年の頬にやる。その細腕を、少年は流すように跳ね除けた。そして、掴んだ少女の顎に、力を入れる。
「お前は…ギルの手を煩わして…楽しいか?!」
 ミーアは力の入った少年の手を、愛しげに触れた。
「悲しい顔をなさらないで…レイ。胸が痛みます。私、貴方のお顔が、大好きですのよ?」
 その心ない慈悲深い物言いに、無性に腹が立ち、少年は眉根を寄せ怒りを露わにしてみせる。
「茶番はいい。ギルバート=デュランダルの前に立ちはだかるというのなら…いくらお前でも――殺すっ」
「まあ、怖い」
 レイと名を呼んだ少年の本気の脅しに、ミーアは茶化すように声を重ねた。そして声色を静め、レイに哀願してみせる。
「分かりましたわ。彼の居場所を、お教えいたします。ですが私を捕らえられる前に…お願いがございます。聞いていただけますか、レイ?」
 レイは、無造作にミーアの顎を解放してやる。そして、彼女からニ、三歩離れ、銃を構えた。
「…取引には応じない」
「取引だなんて…そのような大層なことでもありません。ただ…私、足を捻ってしまったのです。どうにもスカートの裾が重くて…」
 そう言って、ミーアはよろめきながら立ち上がる。そして、少年に、重いスカートを太股辺りまで破いてくれと、頼んだ。訝しがるレイは、自身で破れと彼女に言い放ったが、ミーアは細腕を見せ、溜息を付く素振りを見せる。
「私、力は、並みの女ですのよ? 貴方に何かできると思いまして…? 早くアスランを、殺したいのでしょう?」
 レイは舌を打った。彼女の緩やかな物言いを相手にしていたのでは、いつまで経っても叛逆者であるアスラン=ザラを捕らえることが、いや、討つことができない。閑散とした屋内に、兵士達が立ち入る足音が聞こえる。仕方なく、銃を仕舞い、彼女の願いを聞き入れた。さきほどの誤報を受け、随分と兵を散らしてしまった。そのためにも明確な情報を、レイは得たかった。
 破いた先の、露わになった白い太股を目にした途端、甚だしく険しい表情を浮かべた。特段、少女の肌に欲を見出したわけでもなかった。彼はもともと肉欲が薄い。可憐な花の淫靡さも、彼の前では色褪せる。
「ミーア…お前!?」
 太股の内側から、静かに体液が流れ落ちる。それが何を意味するのか、欲薄なこの少年にも解った。破いたスカートの端を、無下に投げ捨てる。それを見たミーアは声を上げて笑いだす。
「彼の…ですわ、レイ」
 氷のように冷たい眼をした彼女に対し、レイは、少年は汚らわしいものを見る目付きで睨んだ。
「何人の男を、その身に取り込めば…気が済む? 売女がっ」
「口を慎みなさい、レイ=ザ=バレル。貴方に…私を、糾弾できますか?」
 ミーアは眼を細め、清らかに笑みを湛えた。そして蔑むような瞳を、レイに見せる。
「今の私の立場は――元・婚約者、叛逆者から辱めを受けた…『ラクス=クライン』ですわ。アスラン=ザラを幾らでも陥れるのは可能です…ですが、レイ」
 彼女を拘束する理由はそこにはない。少年が、真実を伝えたとしても、彼女のさめざめとした泣く姿に、敵うはずがなかろう。彼が敬愛してやまない男が事実を知ったとて、男は自身の立場に絡み取られ、少女に憐れみを湛え、彼女を庇護するのだろう。
 そう、その男は『魔物』と知りつつも、彼女を手元で飼っているのだから――。
 レイは罵りの言葉を、呪うほど低く呟いた。
「――悪魔がっ」
「お気に召しませんか? 反逆罪に続いて、婦女暴行罪。そして…彼は、東の女子寮棟でメイリン=ホークを“捕らえて”お出でですわ。彼を殺してしまう理由は、いくらでも差し上げましてよ? ふふ…」
 ――『私』を殺す理由は存在しない。
 レイは、踵を返し、すぐさま次の段階の軍隊配置の指示を出した。そして、さきほど少女がしたであろう行いを深く胸に閉まった。
(悪趣味な…)
 思わず苦虫を噛み潰した表情になる。
 廊下を駆けるレイは、見覚えのある一人の平兵士に気付く。その兵士の姿を確認した彼は、鋭く眼を細めた。
(シオン=ハディス。…誤報は、彼か)
 そして、奥歯を鳴らした。見知った少年を捕まえて、問いただす時間は、もはや彼にはなかった。

 再び扉が開かれた。しかし、ミーアは開かれた扉に気付くことなく、黒椅子の上で眠りについていた。
 その姿を確認したシオンは、彼女の無体に晒された太股に、自身の軍服の上着を掛けた。そして、静かに抱き上げる。その所作に気付いたのか、ミーアは頭をもたげ、シオンの姿を認識したと同時に笑った。
「少々…疲れました、わ」
 その笑みになんの反応も示すことなく、シオンは彼女を運んだ。
「彼は…辿り着けると思いますか…」
 ミーアの問い掛けに、感情を持ち得ないかのように静かな少年は、僅かに目を伏せる。
「お前は、課せられた役割を果たせばいい。彼が死のうが死ぬまいが、お前が気に掛ける必要性はない」
 その言葉を聞いたミーアは眼を見開く。
「まあ…シオン? 随分と心根が、芽生えているではありませんか…。どなたに“優しさ”を教わったのですか?」
 シオンのガラス玉のような瞳が、一瞬翳りを見せた。彼の心情の動きを感じたミーアは淡く笑った。
「ふふ。無粋なことを聞いてしまいましたわね」
 そう言うと、彼女は自身の耳を彼の胸元へ付けた。
「心音しかない、貴方だと…“空っぽ”だと…それを心地よく感じていましたが…“母親”の心境とは…こういうものなのでしょうか…」
 幼子を愛しむほど優しく、消え入りそうにミーアは笑んだ。
 少し、寂しかったのかもしれない。ふと湧き上がった、感じ得たことのない感情に、ミーアは目を閉じた。
「貴方に抱かれるのは…ごめんですわ」
 疲れた身体を脱力させ、彼女は少年の腕の中に全てを委ねた。
 深い深い、深淵の闇の中、繰り返される夢を見る。それは彼女が持つ、一滴の希望。彼女が、『人間』であり続けるたった一つの理由。

 『私』という存在に気付いてくれたのは、あの人だけ。
 私が『私』であることを、あの人だけは、喜んでくれた。
 「仲良くしてやってね」、私を『彼女』に合わせてくれた。
 「アナタも同じくらい、大切なの」、私を抱き締めてくれた。
 同じ顔が、そこにはあった。『彼女』とよく似た面差し。
 「少し、泣き虫なの。守って貰えると…嬉しいわ」、そう笑った。

 何度も何度も、無意識下で流れる、その夢の中、少女は無邪気に笑う。彼女の過去は、闇の中にあり続ける。だからなお――夢の中の記憶は、鮮明でいて眩い。
 シオンは、ミーアの寝顔を見詰め呟いた。
「ヒトであることに…この世に大差など…ないはずだろう?」
 人形と化した少年は、まるで魔法を解いたように、人の姿を成した。そして、微かに笑んだようにみえた。
「お前も俺も、首を刎ねれば容易く死ぬ。…生き方が違う。ただ、それだけだ」
 彼は、地球、プラント間の大戦において、表舞台で姿を現すことはなかった。一兵士として、名簿上に記録を残すのみである。その存在を知る者は――死人か、生死の境にいる者ぐらいに等しい。そして、歴史の動乱の中、その名は消えた。

 まもなくして、アスラン=ザラが搭乗したグフが、シン=アスカのデスティニーの手によって撃墜された報が、ジブラルタル基地内に流れ出した。
 少女はそれを、残念そうに笑った。
- END -
2005/11/11